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国際線|乳幼児と一緒に13時間のロングフライトで見た地獄【第1章】

2023/05/09
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いよいよUKに出発する日。家から家までの移動は24時間くらいになります。
生後2ヶ月の第2子と、2歳になって間もない第1子を連れて、国内線→国際線→国内線と、2回乗り換えて飛行機に乗りました。多分。なぜ多分なのかは、この後すぐに話に出てきます。

心配なのは第1子。生まれたばかりの第2子よりも、いつも大騒ぎの第1子でした。そしてその予想は的中しました。

成田に到着


実は、成田空港までどうやって移動したのか覚えていません。

成田空港に着いて、第1子が3ヶ月以上離れて暮らしていた父を発見した瞬間から、父にくっついて離れない様子を見て、母は1週間の入院で第1子に忘れられていたことを思い出しながら「えーーー」と思う気持ちが半分、残りの半分は「第1子の面倒は父が見るしかないだろう」と静かな第2子だけを見てればいいのだという開放感でした。
そんな第1子を見た母の母、つまり祖母が何か言っていた記憶があります。

この記憶から状況を考えて、母は第1子と第2子と一緒に、祖母の力を借りながら実家から成田まで恐らくは飛行機で移動し、祖母が父にバトンタッチ。そんな感じだったのかなと思います。

搭乗前は機嫌良く順調に


広くのびのび動ける場所にワクワクする第1子にとって、搭乗前までの数時間、空港は飽きることない遊び場でした。
父にとっても久しぶりに会う第1子がくっついて離れないという、二人ともうれしい時間。
あっという間に時間が過ぎていきました。

搭乗後にいただいたおもちゃ、離陸前に消費期限を過ぎてしまいました(涙


飛行機の座席は、通路を挟んで2席ずつ使えました。第2子はベビーコットに寝かせるので、コットのつけられる中央席となりました。もちろん母も。父と第1子が窓側席となったため、母は、あわよくば他人のフリをして、第2子と二人きりの快適フライトを!と、思いますが、そんなに平和なフライトになるわけがないと最初から諦めていました。

座ってすぐに客室乗務員さんから第1子におもちゃをいただきました。
できれば飽きてきた頃に頂きたかった・・というのは贅沢ですが、案の定、準備してきたおもちゃには見向きもせず、目新しいおもちゃに夢中。5分だけ。
持ってきたおもちゃは最初に魅力レベルが下がってしまい、父が苦戦しながら第1子のお相手をしていました。
そうこうしている間に離陸。

やっと眠った!と思った瞬間が地獄の始まりとなりました


離陸後しばらくしてから第2子はベビーコットへ。
よく眠り、何度かのミルクタイム、おむつ交換という程度の13時間。きっと多くの場合は乳幼児連れと言ってもそこそこ快適に飛行機に乗ることができると思います。

乗ったのは夜の便で、いつもの生活であれば、機内食を食べたらすぐに寝るくらいの時間だったのですが、日頃から寝かしつけが大変な第1子が飛行機の中で寝るはずがありません。体力を使い果たして眠ることに期待するのみでした。

通路を時々散歩したり、映画を再生してみたり、父は平和な時間が1秒でも長く続くようにがんばっていました。
それでも夜中の2時、3時くらいになると第1子の様子がおかしくなってきます。眠いけど眠れない、機嫌が悪過ぎて抱っこも拒否し、絶叫し始めたので仕方なく床に寝かせることにしました。1時間くらい叫んだあと、ようやく床で眠り始めました。

絶叫、絶叫、絶叫。


周りの方の迷惑そうな表情からようやく解放されたかと思ったものの、床で寝るのはダメだと注意を受けました。
多くの子どもは、この状況なら抱き上げても眠ったままなんだろうと思います。第2子もきっとそうです。ところが第1子は100%起きます。そのことと、必ず周りの多くの人にご迷惑おかけすることとを伝えてみたのですが、とにかくダメと言われました。
結果、その先はもう迷惑を通り越したのでしょう。周囲の方はひたすら聞こえないフリをしてくれていました。

飛行機を乗り継いでUKの仮住まいに到着


ヒースロー空港について、別の飛行機に乗り換えました。
次は国内線だったので小さい飛行機。座席がとても狭く、逆に第1子は比較的落ち着いて座っていることができましたが父も母もヘトヘトになりました。

わずか3ヶ月余りでしたが、住み慣れた家を離れ、第2子が誕生し、海外で住み始めるという激変の時期でした。今、振り返ると、そんなに急がなくてもと思います。でも急いだおかげで、良い時期に新生活を始めることができました。気付くのに1年かかりましたが、その時期は、1年の中で最も気持ちが明るくなる、実際明るくて過ごしやすい時でした。
しかし、初めての一家4人での生活がUKの仮住まい。家族の誰一人として英語を話せない。第1子は毎日朝の30分を除いて大騒ぎ。快適な生活ではありませんでした༎ຶД༎ຶ

あの時の母が、大騒ぎな第1子はいつか東大生になるんだと聞かされたとしたら少しは気持ちに余裕を持って過ごせたのか、それとも逆にプレッシャーでしかなかったのか。きっと後者でしょう。。